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南海電鉄 乗りつぶし (1日目)(2013年8月15日)(9)
(高野線、鋼索線、泉北高速鉄道、南海本線、高師浜線、水間鉄道、空港線、多奈川線)
〜南海本線(2)〜

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 南海電鉄 高師浜線高師浜駅 から、羽衣駅 まで引き返しました。

 高師浜 12:09 → 高師浜線 普通 羽衣行き → 羽衣 12:12

 羽衣駅 からは、あらためて 南海本線 に乗車し南下していきます。


南海電鉄 南海本線 普通 関西空港行き 羽衣駅 12:20発

 この車両は、7100系4両 です。難波駅 から 羽衣駅 まで乗ってきたのも 7100系 でしたが、普通 にはこの車両が多いのでしょうか。(もし、たまたまだったらすみません。)
 この列車は 関西空港行き なので、そのまま 関西空港駅 まで乗って行きたくもなってしまいます。ですが、途中の 貝塚駅 から 水間鉄道 という路線もあり、そちらにも乗らなくてはなりません。よって、この列車には、その 貝塚駅 まで乗っていくことにします。


12:21 羽衣−高石 間

 進行方向左側、建設中の 高架線 がずいぶん形になってきています。高師浜線 のところ((8)を参照)でも書きましたが、この辺りの 高架化 が完成するのは 2019年度(平成31年度) の予定だそうです。


高石駅 12:23発

 駅名だけで言ったら、羽衣駅 よりもこちらの 高石駅 の方が 高石市 を代表する駅のような気がしてしまいます。ですが、羽衣駅急行 も停車するのに対し、こちらの 高石駅準急普通 しか停車しません。南海 のサイト(*) によると、両駅の 乗降人員 (2012年度、1日当たり) は、

 羽衣駅 → 19,629人
 高石駅 → 9,598人


 (*) アド南海 南海線・乗降人員
   http://www.adnankai.co.jp/appeal/nankai_passengers.html


 となっており、羽衣駅 の方が圧倒的に多いことがわかります。


12:23 高石−北助松 間

どうやら、高架化工事 が進められているのはこの辺りまでのようです。

北助松駅 12:24発

12:25 北助松−松ノ浜 間

 なんと、今度は 高架 へ上り始めました。北助松駅 の少し手前まで 高架化工事 をしていましたが、それが完成したら、北助松駅 とその周辺だけが 地上 に残される感じになるのでしょうか。


12:25 松ノ浜駅 に到着します

12:26 松ノ浜−泉大津 間

やはり、高架 を行くところは眺めがよいです。

泉大津駅 12:28着 12:34発

 この 泉大津駅 では、6分停車 して 空港急行 関西空港行き特急「サザン21号」 和歌山市行き に追い抜かれました。空港急行貝塚駅 に停車するので乗り換えてもよかったのですが、貝塚駅 に到着するのは3分しか変わらないですし、こちらの方が空いてもいますので、このままこの列車に乗っていくことにしました。空港急行 は途中の 岸和田駅「サザン」 に追い抜かれるダイヤになっているので、この 泉大津駅 から 貝塚駅 までなら、たいして早くないのです。
 なお、2つ手前の 北助松駅 から 泉大津市 に入っています。「大津」 の頭に 「泉」 を付けて 「泉大津」 なわけですが、先に 滋賀県大津市 があったので 和泉国「泉」 を付けたのだとか。高野線 の方でも 大阪狭山市河内長野市 がありましたが、市の名前は早い者勝ちなわけです。青森県横浜町 ってある(大湊線 の 陸奥横浜駅 があるところです)のですが、もし日本の歴史がもっと違っていて、そっちの 横浜 が先に大発展していたら、私の地元の 横浜市 も、「横浜市」 を名乗れなかったかもしれませんね。


12:35 泉大津−忠岡 間

 高架 が終わり、地上 へ降りていきます。この↑↑写真ではちょっと分かりづらいかもしれませんが、少し先で 大津川 を渡ります。その地点で、泉大津市 を出て 忠岡町 に入りました。


忠岡駅 12:36

 ここは駅名の通り 忠岡町 なんですが、この 忠岡町 は、たったの 4.03ku しかなく、全国の 「町」 の中では 面積が一番小さい のだそうです。「市」「村」 を合わせても、

 富山県舟橋村  3.47ku
 沖縄県渡名喜村 3.74ku


 に次いで 第3位 です。(もし違っていたらすみません) この 平成の大合併 の時代に、たったの 4.03ku で自主自立を貫くとは大したものです。余談ですが、忠岡町 にも ゆるキャラ がいて、その名も 「ただお課長」 というのだそうです。そのまんまですが、それがよいのでしょう。
 つい先ほど 忠岡町 に入ったばかりですが、忠岡駅 を発車すると、すぐに 忠岡町 を出て 岸和田市 に入りました。


12:37 忠岡−春木 間

 前方から、特急「サザン26号」 難波行き がやってきました。「サザン」 は、難波−和歌山市・和歌山港 間 に運転されている 特急列車 で、通勤型 の車両と、特急列車らしい 指定席 の車両を連結しています。難波駅側通勤型 の車両なので、こちらから見ると、ぱっと見ではよく分かりません。高野線 でも 特急 には乗れませんでしたし、できれば1回ぐらい 特急 にも乗っておきたいのですが・・。


12:38 春木駅 に到着します

隣のホームに、空港急行 難波行き が到着するところです。

12:39 春木−和泉大宮 間

和泉大宮駅 12:40発

 この駅は頭に 「和泉」 が付きます。午前中に乗車した 泉北高速鉄道 の終点は 和泉中央駅 で、やはり 「和泉」 が付きました。(ちなみに、和泉中央駅 があるのは 和泉市 です。) ところが、先ほどの 泉大津駅 は、「泉」 でした。「和泉」 でも 「泉」 でも、どちらも 「いずみ」 と読み、どちらも 和泉国 のことを表すのは分かります。ですが、前から不思議に思っていたのですが、どういう場合は 「和泉」 で、どういう場合は 「泉」 という使い分けみたいなのはあるのでしょうか? 余所者の私には、さっぱり分かりません。


12:41 和泉大宮−岸和田 間

 また 高架 へと上っていきます。
 高架 になったり、地上 へ降りたり、なかなか忙しい路線ですね。


12:41 和泉大宮−岸和田 間

高架 になると、眺めがよくなります。

岸和田駅 12:42発

 すみません、この写真ではよく分からないとは思いますが、2面4線 の立派な 高架駅 です。

12:43 岸和田−蛸地蔵 間

 さっき 高架 に上ったばかりなのに、もう 地上 へ降りていきます。
 目まぐるしい路線だなあ。


蛸地蔵駅 12:43発

 「えっ!蛸地蔵だって!!」

 と、思わず驚いてしまいました。今回の旅で、少なくともここまで通ってきた駅の中では、一番インパクトがある駅名ではないかと思います。あとで調べたところ、蛸地蔵 というのは、駅の西500mぐらいのところにある 天性寺 の通称なのだそうです。その伝説について、Wikipedia から引用させていただきたいと思います。

--- Wikipedia からの引用 ここから ---
「天性寺」 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%B8%E5%9C%B0%E8%94%B5

その後、天正年間に紀州根来衆・雑賀衆の軍勢が岸和田に攻め込んで大乱戦となった。敵の勢いが物凄く城が危うくなった時、蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と敵を薙ぎ倒した。しかし、敵勢が盛り返して、蛸法師を取り囲もうとした時、海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、敵を殺害することなく退却させた。城主は喜び、その法師を探したが、結局分からなかった。ある夜、法師が城主の夢枕に立ち、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたので、その昔戦乱から守るため、堀に埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったという。
--- Wikipedia からの引用 ここまで ---

 「海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ」
 「海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ」
 「海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ」

 ・・・ (以下、幾千幾万回繰り返し) ・・・

 想像してみて下さい! この光景を! さぞ敵の軍勢もビビったことでしょう。伝説って面白いですね。昔の人はよく考えたものです。
 ここの地元の方々にも、ぜひ ゆるキャラ を作っていただきたい、と思ったらもういました! その名も、「たこじろう」「た〜こ」 と言うそうです。蛸法師 もさぞ驚いていることでしょう。面白い伝説を考えた昔の人もすごいですが、なんでも ゆるキャラ にしてしまう現代の人たちも、それはそれですごいのではないでしょうか。


12:44 蛸地蔵−貝塚 間

この写真の少し手前で、岸和田市 を出て 貝塚市 に入っています。

貝塚駅 12:45着

 貝塚駅 に到着しました。南海本線 はまだまだ続きがありますが、先に 水間鉄道 に乗っておきたいと思います。



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