これで、今日乗りつぶす予定だった路線は、すべて乗りました。
あとは、昨日から泊まっている 博多駅 近くのホテルに戻り、明日に備えるだけです。
ですが・・、
橋本駅 で、天神南駅 へ戻る電車の出発を待っているときでした。
他の乗客の、「東日本でおおきな地震があった・・」 というような会話が聞こえてきました。
さすがに気になったので、携帯電話 で、ニュースサイト を確認してみました。
すると、
宮城県 震度7
という文字が飛び込んできました。
その 7 という数字に、尋常ではないことが起こった、ということがすぐに理解できました。
自宅がある 神奈川県 も、実家の 埼玉県 も、かなり揺れたようです。
すぐに、自宅に電話しました。
しかし繋がりません。
妻の携帯も、実家の電話も、母の携帯も、どれも繋がりませんでした。
「大丈夫だろう・・」 とは思っていても、さすがに焦りました。
何度電話しても繋がらないので、仕方なく、妻と母の携帯にメールを送りました。
電話は繋がらなくても、メールは届くかもしれない、と思ったのです。
天神南駅 到着後、とにかく 博多駅
へ戻らなくてはならないので、空港線 の 天神駅 へ向かいました。
その歩いている間も、ずっと電話をかけ続けました。
すると、妻からメールの返事が返ってきました。
また、母とは直接電話が繋がりました。
幸いなことに、家族の無事を確認することができました。
さすがにホッとしました。
縁起でもないですが、もし、家族の身になにかあったら、すぐに帰ることを考えたと思います。
(ただし、冷静に考えてみると、その時点で、横浜まで帰る交通手段は無かったと思います。東海道新幹線は運転見合わせ、羽田空港は閉鎖になっていたからです。)
博多駅 まで戻ると、駅前で、新聞社が 号外 を配っていました。
そこには、
宮城 震度7
という大きな見出しと、津波にのみこまれる街の様子が、大きな写真で掲載されていました。
ホテルに戻ると、テレビのニュースに釘付けになりました。
その晩は、テレビをつけたまま寝ることにしました。
寝ている間にも、緊急のニュースが飛び込んでくるかもしれないと思ったからです。
結局、ちょっとうとうとした程度で、翌朝を迎えることになりました。
3日目へ続きます・・。
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