寝台特急「富士」、SL「やまぐち号」、寝台特急「みずほ」 (1979年11月22日〜25日) |
この時は、たしか法事だったと思います。父と二人で 山口県 に帰省しました。 行きは 寝台特急「富士」 で、山口県 に着いた後は、その年の8月1日に運行を開始したばかりの SL「やまぐち号」 にちょっとだけ乗りました。 帰りは、寝台特急「みずほ」 に乗車しました。 1979年11月22日(木) 東京 → 寝台特急「富士」 → 1979年11月23日(金・祝) → 寝台特急「富士」 → 防府 防府 → 山陽本線 → 小郡 親戚の車で山口線地福駅へ 山口 → SL「やまぐち号」 → 小郡 1979年11月24日(土) 岩国 → 寝台特急「みずほ」 → 1979年11月25日(日) → 寝台特急「みずほ」 → 東京 ちなみに、「やまぐち号」 の C57 1 は、今年(2012年)で 製造75周年 を迎えたそうです。 また、「みずほ」 は、東京−九州 間 の ブルートレイン のなかでは最も早く、1994年に 廃止 になりました。 |
東京駅 |
「富士」の方向幕 (2枚とも) |
当時、「富士」 は、東京−西鹿児島 間 での運行で、国内で最も長い距離を走る列車でした。『日本一の列車だから「富士」なんだ』、と子供のころの私は思っていました。 しかし、その後、南宮崎、さらには 大分 といった具合に短縮されてしまい、2009年にはそれも 廃止 になりました。 とはいえ、私にとっては、ブルートレイン の中では一番たくさん乗車した列車で、いわゆる ヒルネ も合わせると、子供のころから廃止までの間に9回乗車したと思います。1996年には、新婚旅行 でも 大分駅 まで乗車しました。 |
「富士」のトレインマーク |
寝台特急「富士」 防府駅 (2枚とも) |
防府駅 はその後 高架化 されましたが、当時はまだ地平の駅だったことがわかります。 防府駅 からは、山陽本線 の 普通列車 に乗り換え、小郡駅 へ向かいました。なぜ、「富士」 で 小郡駅 まで行かなかったかというと、当時は、小郡駅 には停まらなかったからではないかと思います。 また、その 普通列車 の中で、山口県在住の従兄と合流したのだったと記憶しています。 |
特急「おき」 小郡駅 |
この 「おき」 は、見かけたので写真を撮ったものです。 この後、親戚の車で、山口線 地福駅 に連れて行ってもらいました。 当時、津和野行き の 「やまぐち号」 は、地福駅 で停車時間が結構あり、乗客などが 蒸気機関車 を撮影する時間があったのです。 |
SL「やまぐち号」 (2枚とも) |
この↑↑2枚の写真は、どこで撮影したのか正確には覚えていませんが、地福駅 に向かう途中なのは確かです。もしかすると、地福駅 の近くなのかもしれません。 |
SL「やまぐち号」 地福駅 (2枚とも) |
地福駅を通過する急行「つわの」 |
当時、山口線 には、「つわの」 という 急行列車 もありました。 この 「つわの」 が 地福駅 で 「やまぐち号」 を追い抜くダイヤになっていました。 |
さて、いよいよ 「やまぐち号」 に乗車できる時間になりました。 私たちが乗車したのは、小郡行き の 山口−小郡 間 でした。なぜ、山口−小郡 間 だけだったのかは覚えていません。切符が取れなかったのかもしれませんし、親戚の家に寄ったりして時間の都合だったのかもしれません。 |
SL「やまぐち号」 山口駅 (3枚とも) |
「やまぐち号」の車内より |
法事が終わって、帰りは 寝台特急「みずほ」 に乗車しました。 |
寝台特急「みずほ」 東京駅 (3枚とも) |
1枚目、「みずほ」 の写真を撮るために群がる子供たちがすごいですね。私と同世代の人たちですから、今ごろみなさん、いいおじさんになっていることでしょう。当時は、ブルートレイン って、これぐらい子供たちのあこがれの的だったんですね。 また、3枚目では、左側に 153系 (しかも低運転台) の 急行「伊豆」 が写っています。これも時代を感じます。一応言っておきますが、まだ 「踊り子」 なんてなかった時代です。 今、こうやって見返してみると、「富士」 も 「みずほ」 もなくなって、一番古いはずの(「やまぐち号」の)蒸気機関車 だけが現役というのも、なんだか感慨深いものがあります。 |
この手書きの方の切符は、私の分の 特急券 ですが、これには説明が必要かもしれません。 この時は、A寝台 の1つの寝台で父と一緒に寝ました。1つの寝台を大人1人と子供1人の合わせて2人で利用することは可能ですが、その場合には、 (大人1人分の)特急券・寝台券 + (子供1人分の)特急券 が必要になります。よって、私の分の(子供の)特急券 を車内で車掌さんから購入したわけです。 |