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お金がない日は相模線 (2013年5月18日,26日)(4)
〜西寒川支線〜

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● 2013年5月26日(日)

 先週の土曜日(5月18日)に、相模線 に乗車しました。
 その様子は、1つ前のページまででご紹介しました。よって、それで完結でもよかったのですが、実際に 相模線 に乗ってみると、久しぶりにその 支線の線路跡 を巡ってみたくなりました。
 前のページでも触れましたが、かつて 相模線 には、それぞれ 寒川−四之宮 間 と、寒川−川寒川 間貨物線 がありました。いずれも 廃止 になってからずいぶん経ちますが、寒川−四之宮 間 の方は、途中の 西寒川駅 までの線路跡が 遊歩道 として整備されており、当時の雰囲気を味わうこともできます。
 というわけで、また 相模線 に乗ることにしました。一昨日が給料日だったので金欠の方は一息つくことができましたが、自宅の最寄り駅から 寒川駅 まで片道500円近くします。先週の土曜日は百何十円の切符で 相模線 の全区間に乗車できたのに、今日は 寒川駅 で下車したいがために往復で1000円近くもしてしまうわけです。なんだかバカらしい気もしながら、茅ヶ崎駅 10:17発橋本行き に乗車し、10:28、寒川駅 に到着しました。

 茅ヶ崎 10:17 → 相模線 普通 橋本行き → 寒川 10:28


寒川駅を発車していく相模線の列車

寒川駅 西口

 ここから歩くわけですが、まずは 四之宮駅 まで続いていた 西寒川支線 の線路跡を歩くことにします。この支線は、途中にあった 西寒川駅 から先は、Wikipedia によると 1944年(昭和19年)廃止 になったようです。残った 寒川−西寒川 間 には 旅客列車 も運行されていましたが、それも 1984年(昭和59年)廃止 になっています。

 なお、このページの最後の方に地図を載せます。記載している丸数字がどの地点になるのか、その地図をご参照いただければと思います。


【@地点】
現在の相模線と西寒川支線の分岐点

西寒川支線 は、この地点で分岐していました。

【A地点】
西寒川支線の線路跡

 ちょうど 相模線 の列車が通過しているあたりが @地点 で、そこから 西寒川支線 の線路がカーブを描いてこちらに向かってきています。

【A地点から交差点を渡ったところ】
遊歩道(一之宮緑道)の始点

 ここから、線路跡に整備された 遊歩道 が始まります。この↑↑写真の中央から奥に向かって伸びている小道が、その遊歩道です。この遊歩道は、一之宮緑道 と呼ばれています。私にとって、この道を歩くのは6年ぶりで3度目です。


【A地点からB地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

この緩やかなカーブは、いかにも鉄道の線路跡らしいですね。

【A地点からB地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡) 路面に埋め込まれたタイル

 ところどころ、動物などを描いたタイルが埋め込まれています。
 このタイルは、寒川町内の小中学生が作成したものだそうです。


【A地点からB地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡) ベンチ

 途中、何箇所かベンチがありました。
 お散歩の休憩には、ちょうどよいですね。


【A地点からB地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

 こんな道を歩いていきます。
 今日は天気もよく、かといって暑すぎず、歩くのも気持ちがよいです。

【A地点からB地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡) 車輪

 車輪 が展示されています。
 このような線路跡であることを示すものがあると、うれしいですね。


【B地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

一之宮公園 のところは、線路 も残っています。

【B地点】
一之宮公園

 これは、駅名標 を模しているのですね。
 左側の ゲート広場寒川駅 の方向で、右側の 八角広場西寒川駅跡 です。


【B地点】
一之宮公園

【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

 せっかくなので、線路の上を歩きます。
 キハ30 になったつもりです。ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン〜

【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)の線路

 さすがにレールは錆び、枕木もかなり傷んでいます。
 現役ではありませんから、仕方がないですね。


【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

 線路はここで終わっています。
 線路が残っているのは、B地点 から200mほどでした。


【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

また 車輪 があり、さらにその先へ 遊歩道 が続いています。

【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

 さらに歩いていきます。
 右側に、サツキ が咲いています。

【B地点からC地点へ】
一之宮緑道(西寒川支線跡)

 信号があります。当時は、ここには 踏切 があったのでしょう。
 信号を渡ると、もう少しで 八角広場(西寒川駅跡) です。


【C地点】
八角広場(西寒川駅跡)

 八角広場 に到着しました。
 西寒川支線 が現役だったころは、ここに 西寒川駅 がありました。

【C地点へ】
八角広場(西寒川駅跡)

 ホームがあった場所には、線路が残っています。
 私が、前回この場所を訪れたのは6年前のことですが、そのときは線路の上に、子供が乗れるような台車みたいなのがありました。ですが、その後、撤去されてしまったようです。


【C地点】
八角広場(西寒川駅跡) 記念碑

【C地点】
八角広場(西寒川駅跡)

 この広場を正面から見ると、こんな感じです。
 今さらですが、「現役のときに乗りに来たかったな」、と思います。


【C地点】
八角広場(西寒川駅跡)

 相模線 西寒川支線 の線路跡を歩き、八角広場(西寒川駅跡) までやってきました。
 この先には、その昔、相模川 で採取した 砂利 を搬出するための 四之宮駅 という 貨物駅 がありました。しかし、西寒川駅 から先は、明確に線路跡と言えるような痕跡は残っておらず、四之宮駅 の位置も正確にはわかりません。ですが、雰囲気だけでも味わえるかもしれませんし、四之宮駅 を目ざしさらに歩くことにします。

 なお、今回、四之宮駅 を目ざす上で、こちら↓↓のサイトを参考にさせていただきました。

 四之宮ふれあい便り
 四之宮駅跡・廃線跡ウオーキングしました
 http://hiratsuka.johokyoyu.net/area/shinomiya/default.asp?c_id=2322

 このサイトにリンクされている資料に、地図が掲載されています。
 その地図は 「大正10年測図昭和2年鉄道補入」 とあり、西寒川支線川寒川支線 の線路も記されています。今回、この地図(以下、資料[1] と記します)がとても参考になりました。


【C地点】
西寒川駅から四之宮駅方向をのぞむ

 目の前の高架は、圏央道 です。
 四之宮駅 が現役だったころと比べ、このあたりの様子も随分と様変わりしたことでしょう。


【C地点からD地点へ】
西寒川駅から四之宮駅へ

 この道が、西寒川支線 の線路跡に忠実であるかはわかりません。
 ですが、四之宮駅 がこちらの方角だったことはたしかです。


【C地点からD地点へ】
西寒川駅から四之宮駅へ

 このあたりは、工場が多いです。
 ちなみに、左側は 旭ファイバーグラス(株) 湘南工場 ですが、この工場ができたのは 1957年(昭和32年) とのこと。四之宮駅 が現役だったころは、無かったわけです。


【D地点】
西寒川駅から500mの地点(四之宮駅はこのあたり??)

 四之宮駅 が現役だったころ、寒川−西寒川 間1.5km寒川−四之宮 間2.0km でした。よって単純に考えれば、西寒川駅 から 四之宮駅 までは 500m だったということになり、それを今私が歩いている道に当てはめるとこの↑↑写真のあたりということになります。ですが、上の方でご紹介した 資料[1] によると、この先にもまだ線路が続いていたことがわかります。その地図をたよりに、さらに歩くことにします。


【D地点からE地点へ】
四之宮駅はこのあたり??

【E地点】
四之宮駅はこのあたり??

 資料[1] によると、現在の 相模川 の堤防の内側へ線路が伸びていたことになります。当時は堤防がどの程度構築されていたかもわかりませんし、もともとの 砂利採取 という目的を考えれば、それも当然のことかと思います。


【F地点】

堤防の内側(北側・寒川町方向)をのぞむ


 この写真を撮影しているのは、寒川町茅ヶ崎市 の境界付近です。
 寒川町側は、田端スポーツ公園 としてグランドが整備されています。
 「このあたりにも線路が伸びていたのかなあ」 と思いますが、その痕跡はまったくありません。


【F地点】
堤防の内側(南側・茅ヶ崎市方向)をのぞむ

 茅ヶ崎市側は、主に畑として利用されています。
 資料[1] によれば、当時はもう少し先まで線路が伸びていたようです。

 「四之宮駅はどのあたりにあったのか?」

 という点については、正確にはよくわかりません。
 ですが、実際に歩いてみて思ったのですが、ピンポイントで 「この位置にあった!」 というよりもむしろ、

 「D地点あたりから現在の堤防の内側へ向けて、線路が伸びていた河原一帯が四之宮駅であった」

 という考えもできるのではないでしょうか。四之宮駅 は、もともと 相模川 で採取した 砂利 を搬出するために設置された 貨物駅 でした。あくまで私の推測ですが、砂利貨車 に積み込むのは一か所ではなく、線路が伸びていた範囲に何か所かあって、適宜貨車を運んで積み込みをしていたと考える方が自然なのではないかと思うのです。四之宮駅 が現役だった当時、このあたりの河原一帯で、貨車砂利 を積みこむ光景が見られたのかもしれません。


【G地点】
相模川

 最後に地図を載せておきます。この地図は、国土地理院電子国土ポータルサイト から必要な部分を印刷し、加筆して作成しました。

 国土地理院・電子国土ポータル
 http://portal.cyberjapan.jp/




【2013/6/8追記】

 図書館 に行って 「寒川町史」 などをペラペラめくってみたところ、新たにわかったことなどがありましたので、以下に記します。

(1) 四之宮駅について

 「寒川町史 13 別編 事典・年表」 に、四之宮駅 の項があり、以下のように書いてありました。

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しのみやえき 四之宮駅
 相模鉄道の貨物駅.大正11年(1922)5月,相模川の砂利輸送のため施設された貨物専用支線の終着駅として開業した.寒川駅からの営業距離は2.0km.相模川左岸に位置するが,中郡大野村(平塚市)四之宮の飛地に設けられたため,この名がついた.トロッコで運ばれたきた河原の砂利を,ここで貨車に積み替えて運び出した.
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 私はてっきり、線路が伸びていた河原一帯に適宜貨車を運んで砂利の積み込みをしていたのかと思っていました。ですが、

 「採取した砂利はいったんトロッコに載せて運び、貨車に積み替えをしていた」

 ということがわかりました。

(2) 当時の砂利採取の様子について

 「寒川町史 15 別編 図録」 に、当時の 相模川 での 砂利採取 の様子を写した写真が掲載されていました。手掘り だったころの様子、昭和期になって導入された 機械船 などの写真があり、また、トロッコ から 貨車 へ積み替える様子の写真(ただし、どこの駅のものであるかは記載なし)も掲載されています。当時の雰囲気が伝わってきて、とても参考になりました。

 もし、相模線 を含め、当時のことを調べている方がいらっしゃいましたら、ぜひ図書館などでご参照いただければと思います。



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